なぜ日本車は「人生最後の1台」に選ばれないのか

23pt   2018-07-12 12:00
新型車情報局

1:田杉山脈 ★:2018/07/07(土) 17:16:08.70 ID:CAP_USER.net bf28b1fc.png


数年前のことだ。

 久しぶりに、昔の職場の先輩たち数人と飲んだ。その席で、どんな流れだったかは忘れたが、自分が乗っているクルマの自慢話大会になった。

 私は基本的にクルマに関心がなく、「走れば何だっていい」くらいにしか考えていない。なのでその大会には参加できなかったのだが、よく意味が分からないウンチクの応酬が最高潮に達した時、とりわけクルマ好きの50代後半の先輩が、こんな質問を投げかけたのを覚えている。

「人生最後に乗りたいクルマを挙げるとしたら、何?」

 私には当然答えられるわけもなく、適当に相づちを打ちながら皆の話をただ聞いていた。

「ポルシェだな」「いや、フェラーリだよ」「マセラティ以外考えられない」など、先輩たちは口々にお気に入りのブランドを答えていく。

その時、ふと不思議に思ったのは、日本車を挙げる先輩が一人もいなかったことだ。

 クルマづくりは日本のお家芸のはずだ。トヨタやホンダ、日産など世界に冠たるメーカーもたくさんある。それなのに、なぜ日本車はクルマ好きの彼らの心を捉えないのだろうか。

本書『マツダがBMWを超える日』を読んで、その疑問の答えが分かったように思う。

 著者の山崎明氏は、1984年電通に入社。戦略プランナーとして30年以上にわたってトヨタ、レクサス、ソニー、BMW、MINIのマーケティング戦略やコミュニケーション戦略などに深く関わってきた。2017年に独立し、マーケティング/ブランディングコンサルタントとして活躍する人物だ。

 山崎氏はブランドには大きく分けて2種類があると指摘する。

「コカ・コーラ」「マクドナルド」といった一般向け大量販売の対象となるのは「マスブランド」だ。一方、「メルセデス・ベンツ」「ロレックス」のように、高価で多くの人が憧れる高級品は「プレミアムブランド」である。

 トヨタ、ソニー、任天堂といった世界中の人が知っている日本発のブランドがある。しかし、そのほとんどはマスブランドだ。プレミアムブランドとしてよく名前が挙がるのは、ヨーロッパ企業によるものばかりだ。

 しかし、日本製品の品質は世界の折り紙付きだ。それなのになぜ、日本には「人生最後の○○」になるようなプレミアムブランドが育たないのだろうか。

メルセデス・ベンツとBMWは
“違うキャラクター”の富裕層がターゲット
 山崎氏が言うには、プレミアムブランドは「そのブランドを持っている自分」が、他人の目にどのように映るかを意識しながら選ばれる。つまり、プレミアムブランドは、オーナーのアイデンティティーやステータスを代弁するものでなければならない。

 例えばメルセデス・ベンツとBMWは、どちらも高級車として知られるプレミアムブランドだ。しかし、それぞれがまとうイメージはだいぶ違う。

 ベンツには「高年齢」「保守本流」「権威主義」といったイメージがないだろうか。乗るのは、大会社の社長や、金融系の偉い人など、どっしりと落ち着いた富裕層に思える。

 一方、BMWは「若々しい」「スポーティー」「アクティブ」といったイメージで語られることが多い。高級車ゆえに乗るのはベンツと同じく会社社長だが、IT系やメディア系のトップ。フットワークが軽く、活動的な富裕層だ。

 ベンツからBMWへ、もしくはBMWからベンツへと乗り換える人は少ないらしい。この2つの車種を同時に所有しているケースもまれだという。

 それは両者のキャラクターの違いが明らかだからだ。所有することで自分のアイデンティティーを表現し、満足感を得る顧客のセグメントがはっきり分かれているということだ。

 メルセデス・ベンツは、1886年に自動車の特許を取得した「自動車を発明した会社」によって世に送り出された。そして1900年代前半の世界各地のグランプリレース(現在のF1に相当)で大活躍し、堅牢な高性能車としての評価を高めていったのだ。ナチス政権にも愛用されたという。

 戦後も「自動車を発明した会社」の矜持を保ち、特に安全性にこだわった名車を数多く生み出してきた。
以下ソース
https://diamond.jp/articles/-/174165 c?ro=1&act=rss&output=no&id=5314740&name
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